魔法戦国群星伝
< 第二十九話 災厄の影見えて >
カノン皇国 帝国側国境の城
日差しも穏やかな昼下がり。とはいえ冬場ともなれば空気は昼間と言えど刺すような厳しさ。
その寒気を諸共せずにずいずいと歩く娘が一人。右手にはなぜか人の襟首を捕まえ、ずるずると引きずっていたりする。
「イタイイタイっ。み、美坂ちょっと待てって、なんなんだいったい!?」
案の定人間扱いされずに引きづられているのは北川潤。引きずっているのは美坂香里だった。
普段は女性らしさには事欠かない香里だが、こと北川に関しての行動には何故か常識を外している。
特に最近は北川の扱いが悪化しているようだ。最前線に居を構え、動かぬ情勢に精神をすり減らしている所為らしい。
さすがに北川も身が持たないので大人しく引きづられている。
「前にいったでしょ、新しい武器をあげるって。栞に持って来させたから選びなさい」
バタンと蹴破るように城の一室に入る。そこでは美坂栞が相沢祐一と共に好物のバイラアイスを嗜んでいた。
「あっ! 北川さんこんにちは」
「よう、北川」
「栞ちゃん、久しぶり」
にこやかに挨拶するも、香里に首根っこを掴まれたままではあまり格好もついていない。
さらに無視された祐一が後ろの台に置いてあった木彫りの置物を投げつける。
見事に命中
「ぐぁ!? あ、相沢てめぇ、なにしやがる!」
「うるさい、北川のクセに無視すんな」
「ああっ、いきなり喧嘩しないでください」
ギャーギャーと騒ぐ三人に小さく溜息をついた香里は手近にいた北川をはり倒す。
「な、なんで俺だけ」
「北川くんだからよ。はいはい、栞。さっさと出して」
「はぁ〜い」
元気よく返事をした栞はゴソゴソとポケットを探ると中身を出し始めた。
「…………う〜ん、美坂に叩かれすぎたせいかヘンな風に見えるぞ」
「大丈夫よ、あなたがオカシイのは頭だけで眼は正常よ」
「にしてもいつ見ても摩訶不思議だな」
「……そうね、持ってこいと言っておいてなんだけど、非常識だわ」
眼をゴシゴシと擦っている北川と半眼になって自分を見つめる祐一と香里に栞はプーと頬を膨らます。
「そんなこと言う人たちは嫌いです」
言いながらも次々とポケットから剣・刀・斧・薙刀など様々な武器が飛び出してくる。
「とりあえず、あるだけ持ってきたんですけど」
五〇を越えようかという武器武器武器がズラリと並んだ。
「すげーな、俺にもなんかくれ」
「だめです。祐一さんは立派な魔剣を持ってるじゃないですか」
「いや、もう一本くらい…」
「だめです」
「ほら、北川君どれか選びなさいよ」
さっきから黙り込んでいる北川をせっついた香里は、北川が魅入られたようにある一点を見つめてみることに気が付いた。
その視線の先にある刀を取り上げてみる。
「これが気に入ったの?」
「……あ? ああ、いや気に入ったというかなんというか。それ、銘とかあるのか?」
「あるわよ、結構目利きが利くのね。グエンディーナ魔法王国のお抱え刀工で、妖工と呼ばれた宮田龍征の手がけた『五月雨龍征』。その最後にして唯一現存する一品よ。『五月雨龍征』と呼ぶより妖刀『絶』の名前の方が有名かもね。
『百の魂持ちたる刃』って呼ぶ事もあるみたいだけど」
「へぇ、ハンドレッド・ブレードねぇ。そりゃまた大層な名前だよな」
「由来があってね。宮田龍征が生涯最後にこの刀を打ち終わったと同時に、それまで彼が打った九九本の刀が砕け散ってしまったそうよ。その砕け散った刀たちの魂は全てこの刀に込められたというお話。ほんとかどうかは知らないけど」
スラリと鞘から刀身を抜いてみせながら、滔々と説明する。スラスラと言葉が出てくるあたり、やはり大したものである。
北川も由来に感心したのか、香里の語り口に感心したのか、まあどちらともなくフンフンと頷いてみせる。
「それでサウザントねえ」
「他にも百人以上の狂信者を斬った殺人鬼の愛刀だったとか色々噂があるみたいだけど…あれ? 千人だったかしら」
「おいおい、なんかヤバそうな刀だな。でもいいのか、こんな凄えの貰っても」
「構わないわよ、別に使わないし。40年ほど前に祖父がどっかから入手しただけで、家宝ってほどの代物でもないから。それに前の刀ダメにしたの、私の所為みたいなものだしね」
最後の言葉に少し照れを滲ませながら香里は妖刀『絶』を鞘に納めて北川に手渡した。
高価な骨董品を渡されたように、どこか緊張した様子で北川はそれを受け取る。
と、刀に触れた途端、北川の顔色が変わり、ビクリと全身を震わせる。
「どうしたの?」
「いや…の、呪われたぁ!!」
「ええっ!?」
「ケケケ、そんなわけないって――ぐえ! み、美坂、最近手が早すぎ…」
「ああっ!?」
「いえ、なんでもありません」
凄まれてスゴスゴと引き下がった北川は、感触を確かめるように刀の柄を握った。
さっき、触った瞬間の、痺れるような懐かしい感慨を確かめるように…。
「なんか初めてって気がしねえや。へへっ、よろしくな相棒」
一方祐一は…
「これいいな」
「だめです」
「これは?」
「だめです」
「この剣ならどうだ」
「それもだめです」
「使わないけど、この斧なら…」
「何で使わないのを欲しがるんですか? だめです!」
「………」
「………」
「……なんでぬいぐるみなんか混じってるんだ?」
「さあ、私は武器倉からあるだけ適当に持ってきただけですから……」
「……なあ、このぬいぐるみ、名雪が使う召喚獣のけろぴーにソックリだな」
「小型けろぴーだったりして……」
「………」
「………」
「これ…」
「だめです!!」
§
深と静まり返った空間。
日も沈み、闇が辺りを覆っている。
彼がいる場所は城内の訓練場。板張りの部屋の中では四方に燈された蝋燭の燃える微かな音だけが聞こえ、それが逆に静寂の深さを引き立てていた。
その中で、北川は無言で腰を落とし、左手で新たな相棒の鞘を抑えていた。
右手は感触を確かめるように柄に添えられ柔らかく握り込んでいる。
抜刀術、居合で総称される抜き打ちの構え。
だが今にも刀が抜かれるかと思われた刹那、引き絞られた空気がほどけ、静寂に穏やかさが戻った。
ふう、と吐息を漏らして構えを解いた北川に背後から声がかけられた。
「なんだ、抜かないのか?」
「のぞきとは趣味が悪いな、相沢」
壁にもたれかかってこちらに底意地の悪そうな笑みを見せている祐一に、バツの悪い笑みを返す。
あまり他人には見せたくない姿だった。声をかけられるまで全く気が付かなかった自分が悪いのだが。
「何か用か?」
「うん、別に用はないんだが……」
問われて祐一は困った様に視線を泳がせた。どうやら本当に何の用事もないらしい。単に通りかかっただけのようだ。
とはいえ気配を隠して近づくのはやはり悪趣味だ。
おいおいといった感じで苦笑した北川は、何か言いたげな祐一の様子になんだよ、と視線で問うた。
一瞬、迷ったように視線を逸らせた祐一は何でもない、というように首を横に振った。
そして間を取るように話題を変える。
「そういやさ、北川。前から思ってたんだがお前って普段は絶対刀抜こうとしないよな。なんでだ?」
「フフフ、能ある鷹は爪を隠す、ってやつだ」
何故か偉そうにふんぞり返る北川に、祐一は半眼になって言う。
「それならもう隠す必要ないじゃないか。みんな知ってるんだし」
「……むう、言われてみれば」
「恍けるなって」
むっと顔を顰めて見せる祐一に、北川は肩を竦める。
「…別に恍けてないさ。だいたいそれを言ったらお前だって未だに爪を隠してるじゃねえか」
「………なに? どういう意味だ」
北川は答えない。さーてな、と言わんばかりにそっぽを向く。口元を微かに吊り上げながら。
祐一は不服そうに唸りながら押し黙った。北川も結局口を開かない。
蝋燭がジリジリと芯を燃やす音だけが微かに響く。
静寂……だがそれは決して居心地の悪いものではなく。二人は無言で沈黙を守った。
暫しの間静寂が彼らを包む。
ふと、北川の視線が自分の持つ刀へと落ちる。
「何故抜かないか…ってさっき聞いたよな」
しばらくぼんやりと妖刀を見つめていたが、不意にポツリと言葉を漏らした
「ん? ああ」
応えながら祐一は微かに眉を顰めた。この数年来の友人の初めて見せる気配を……
陰鬱な気配を感じて。
焦げ茶色の目がチラリと祐一をなぞる。
そして視線を蝋燭に燈る小さな炎に向け、自嘲するように囁いた。
「俺はな、自分ってヤツを信用してないんだ」
「…なに?」
「…………いや、気にするな。くだらないことを言った」
打ち消すように早口にそう言い残すと北川は祐一の横を通り過ぎ、部屋を出て行った。
「あいつ……」
親友の微かな心の揺らぎを一瞬とはいえ目の当たりにした祐一は、だが何も言う事無く目を細めてその背中を見送った。
少なくとも、自分から言い出さない迷いを詮索するほどつまらない付き合いのつもりはなかった。
話す気になれば、話してくれるだろう。無闇に急かす必要もない。
「それにしても」と考え込むように瞼を閉じる。
さきほどの北川の姿を瞼の裏に思い浮かべる。
やはり自分が知るそれと同じである事を確認し、口元を歪めた。
「深陰流抜刀術『楠葛』の型……か。まさかそういうことだったとはな。ったく、今まで気が付かなかったとは不覚だぞ」
苦笑しながら独り言をぶつぶつと呟く。
初めて会った時からなんか引っかかると思ってたんだよ。そうか、バーさんと歩き方がソックリだったんだ。なんで気が付かなかったかな。確かにそれなら俺の事も知ってておかしくないか。
うんうんと独りで何事かを納得していた祐一は、ふとほんの微かに感じた気配に顔を上げた。
すっと鋭くなった眦が部屋の一点を捉える。蝋燭の火に揺らぐ濃い影。
トスっという軽い音と共にその影に小刀が突き刺さる。
抜く手も見せず小刀を投じた祐一が、低く抑えた声で問い掛ける。
「何者だ」
すると、その声に応えるように小刀を突き刺したまま影がムクリと身を起こした。
影がフードを被ったような存在が擦れた老人の声で笑った。
「ホッホッホ、儂の影身を見破るとは大したもんじゃい。人間では二人目じゃよ、さすがは相沢祐一殿といったところか」
祐一の眼光がさらに険しくなる。
彼は触れれば切れそうなほど鋭利な声音で問うた。
「…魔族か。もう一度だけ聞くぞ、何者だ?」
「ふむ、儂はカゲロヒと申す者。魔界の王の一人 魔狼王の双牙と呼ばれる魔将の片割れじゃい」
§
雲も無く半分ほどに欠けた月が静かに夜を照らしている。
雪は降っていないとはいえ、冬の夜半はやはり寒さは厳しい。
だが美坂香里は暖かさを感じるはずのない月の光に、何故か温もりを感じるような錯覚を覚えながら、バルコニーから月の明るさに負けずに輝く星空をぼんやりと眺めていた。
「よう美坂、なに黄昏てるんだ?」
「別に……。あなたは暇そうね、北川くん」
ヒマヒマだー、とヘラヘラ顔を崩しながら香里の隣でバルコニーに寄りかかる。
「なんかムカツクわね」
「はっはっは、カッカしてると暖かいだろう」
「あんた殴ってた方が身体も暖まるわ」
「ううっ、それは勘弁してくれ」
「ったく、だいたいヒマならみんなの相手をしてあげたらいいのに」
「えー、やだぞ。うん、面倒くせーし」
北川は思い出したように、露骨に顔を顰めて見せた。
ものみヶ原会戦の活躍以来、戦いを挑む輩が増えて流石にイヤになっていた所だ。
「まったく、男にまで言い寄られるのは勘弁して欲しいぜ」
「あら、女の子には言い寄られてるみたいな言い方ね」
「あ、相変わらずキツイなぁ」
タジタジになる北川に内心クスリと笑みが込み上げる。無論表情は澄ましたモノだが。
今まで膠着する戦争の行方にドンヨリ思い悩んでいた心が、北川とのこんな些細なやり取りで、少しだけだが軽くなる。
考えてみれば、自分が女王という重圧に少しでも沈んでいると、彼がヒョコヒョコと寄ってきては軽口を叩いているような気がする。
ふと傍らで情けない顔をしている北川の横顔を見つめる。
……守る…か…
ものみヶ原で自分が逃げないと宣言した時に彼が呟いた一言が思い浮かぶ。
今では殆ど思い出せない、子供の頃交わした他愛のない約束。彼が呟いた一言は朧げな記憶にあるそれを思い起こさせた。
だけど……。
香里はもう殆どその面影も、名前すらも覚えていない、ほんの一時を過ごしただけのあの少年と北川の横顔とを照らし合わせた。
そう、あの少年は輝かんばかりの黄金色の髪と金色の瞳を持っていた。あの綺麗な金色だけはよく覚えている。だが北川は薄い茶色の髪の毛に焦げ茶の瞳。全然違う。なにより……。
「…魔族」
「ん?」
香里の小さな呟きに北川が反応してこちらに顔を向ける。
「北川くん、あなた……」
香里は言葉を紡ぎかけ、なんでもないと首を振った。
「さあ、積もる仕事もあることだし、そろそろ戻りますか」
よし!と気合を入れ直す香里に北川はニコニコと頑張れよー美坂、と無責任に声援を送る。
その態度にムカッときた香里はいつものように北川を張り倒すと「ちょっとは働きなさいよね」と言い残し、スタスタとバルコニーを後にする。
と、その歩みが止まる。ふわりと身を翻して不思議そうに首を捻った。
「ふと思ったんだけど…北川くんってなんで私の事、名字で呼ぶの?」
どつかれた頭を抑えて唸っていた北川はキョトンとした。
「はい? なんでって…なんでだろ? いや別になんとなくだけど…はは〜ん、さてはこの俺に名前で呼んで欲しいのか?」
「いえまったく、ちょっと思っただけよ」
なんの照れもなく平然と応えられてちょっと涙目になる北川。
「ううっ、俺は名前で呼ばれたいぞ」
「はいはい、気が向いた時にね」
パタパタと手を振りながら、香里は城の中へと消えていった。
一人になり、バルコニーからぼんやりと夜の帳に覆われた世界を眺めながら、ふと恐らくは本当に思いつきであっただろう香里の問いを反芻する。
「そういや、ホントになんでだろうな」
これまでそう呼んで来たから…といえばそれまでだが、なにかこう、彼女を香里と呼ぶ事に心の内に抵抗感があるような気がした。そう、ほんの微かな引っかかり。
と、物思いに耽っていた北川は、不意に微かにチクチクと刺すような感覚を受けた。
こりゃ…剣気じゃないか?
バッと城の方に振り返る。
川澄先輩は今この城にはいないから他にこれだけの剣気を出せる奴となると…相沢だよな。
………となるとさっきの気配は気のせいじゃなく、やっぱりあいつ…
北川の顔がみるみる渋面へと変わった。
「爺さんがこっちにいるって事は…くそっ、あの野郎も大盟約世界に来てるのか…」
そう呟いた北川の表情は忌々しさ…というよりいきなり会いたくない人物に鉢合わせしたような迷惑気な顔をしていた。
§
カゲロヒ…そう名乗った魔族はフードの奥から底光りする不気味な目をこちらへと向けている。
どうやらかなりの大物らしいその魔族に、祐一は平然と余裕の笑みを見せた。
「魔王の側近ね。そいつがこんな所になんの用なんだ。だいたいなんで俺の名前を知ってるんだよ?」
まるで道でも尋ねるかのような祐一の物言いに、こちらの魔族はつまらぬ質問を受けた教師のようにすまして言った。
「良き答えというものは、良き問によって引き出されるらしい。その点から見るとお主の質問には面白みが無いの」
「生憎と俺は周りにも真面目で面白くない男と評判なんでな」
祐一の答えに影は楽しげに喉を震わせた。
「まあいいわ、質問に答えよう。ここに来たのはちと野暮用じゃ。別に貴公らに迷惑をかけるつもりではないから安心せい」
「そいつが信用できるとでも?」
「まあそこは儂とお主の友情に免じて信じてくれるとありがたいの」
「……あんたとは初対面だと思うんだが」
「うむ、初対面じゃの」
「じゃあなんで俺のことを知ってる」
どちらかといえば和やかだった雰囲気が、一気に張り詰めたものに変わる。
研ぎ澄まされた剣気がカゲロヒに叩きつけられ、いつの間にか抜かれていた魔剣の切先が八双を描く。
「まあ急くな、若者よ。お主と正面から戦おうなどという無謀な事はするつもりはないわい」
「ほう、あんた魔族でもかなり強いんだろ? 魔王の側近っていうぐらいだからな。それが俺と戦う事を無謀というのか?」
「お主が伊世殿の一番弟子だと知っているからな。彼女が自分に勝るとも劣らぬと誉める輩と戦う気にはなれんよ」
カゲロヒの言葉の中に混じっていた名前に気がつき、祐一の表情が面白いように変わった。
真剣だった顔が、苦虫を潰したようになり、そして疲れたように半眼になる。
「あんた、バアさんの知り合いかよ。あのバアさん、いきなり行方不明になったと思ったらなにしてやがるんだ?」
「6年ほど前にひょっこりと魔界に現れての、以来我が王の客分となっとったんじゃ」
「魔界って…おいおい」
呆れて溜息をつく。
「まああの危ないのがいないってのはこの世界にとってはいいことかもな」
やれやれといった感じで言う祐一をカゲロヒが一言で叩き伏せた。
「残念じゃが、伊世殿はこちらに戻っておるぞ」
「…ぐは」
突っ伏する祐一の姿を一頻り楽しげに笑ったカゲロヒは、ゆるゆると足元の影に身を沈ませはじめた。
「さて、目的は済んでおるし、そろそろお暇するとしよう。それではな、相沢殿。また会う事もあるじゃろうて」
「あ、ちょっと待て」
「なんじゃ?」
「あんたが何しにここに来たかは聞かないが、一つだけ聞かせてくれ。……バアさんは向こうで弟子を取ったのか?」
「……ああ、一人な。僅か2年にも満たぬ間じゃがな」
そう言い残すとカゲロヒは影に消え、その気配も無くなった。
無言でそれを見送った祐一は難しい顔のままぽつりと呟いた。
「…魔界…か」
グエンディーナ大陸中央部 失われた聖地
まるで生けるものの息遣いが感じられない虚ろなる領域。
カノン・東鳩・御音の国境、つまり大陸の中心にある『失われた聖地』と呼ばれる小高い山。
今から111年前の盟約暦985年。この地は全ての住人を失った。
いや、住人と言う言葉は間違った使い方かもしれない。
かつてこの地にいたのは狂信者と呼ばれた者たちだからだ。
狂信者たちの集団。彼らは自らをFARGO教団と名乗る。
彼らFARGOは生贄と神に捧げる巫女の探索と称して大陸各地の村々に対して襲撃を繰り返した。
当時、カノン・御音・東鳩の三国はそれなりに緊張した関係にあったために、三国を自在に行き来するFARGO採血部隊「ブラッディ・ムーン」と呼ばれた殺戮者たちを野放しにすることとなり、結果最終的に万を越える被害者を出す。
当初、FARGO信徒への懸賞金を掛けたり、傭兵隊を編成するだけで対応の鈍かった三華三国も、この事態には蒼白とならざるを得なかった。
そして東鳩帝国・御音王国・カノン皇国による歴史上初の三国連合軍が編成され、FARGO討伐が決定される。
三国連合軍は八万の兵力を持ってFARGO総本山を攻撃した。
だが、彼らは自分達が狂人たちを相手にしていることを最後まで理解していなかった。
FARGO教団の教主は敗色が濃厚となるや躊躇無く三国連合軍に対し絶対魔術を使用。
結果、三国連合軍八万の軍勢は突然溶岩と化した大地に飲まれ、阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたあげく全滅した。
だがFARGO教団にもすぐさま報いが訪れる。
『永遠の盟約』の発動である。
総本山に居た約四万の信徒は残らず現行世界から抹消された。
一二万もの人間が失われたこの地の最深部のホールの奥で一人の男が虚空を見上げていた。
歪んだ口元、細められた灰眼、その全てが男の薄暗き性質を体現しているかのようだった。
「ふん」
辺りを見回し蔑むように鼻を鳴らす男。
その目前で突然世界が歪んだ。
虚空にこの世界と根本的に異なる何かが穿たれる。
その穿孔は徐々にその隙間を広げはじめた。
男は、ねっとりとした視線でそれを確認すると、満足気に禍々しき笑みを浮かべた。
「さあ、今より舞台の幕があがる。終わりの…始まりだ」
御音共和国首都 中崎 大統領府地下
「これは!?」
T機関特務処理班長 氷上シュンは彼にしては珍しい事に驚きの声をあげた。
原因はテーブルの上に広げられた数枚の写真である。
「特別調査局に持ち込まれた写真だよ。確認された場所は辺境だが数個所にのぼっている」
「つまり『はぐれ』ではないと?」
「里村君はそう判断している。僕も同意見だ」
T機関総帥 ミスターTの言葉に頷いた氷上は誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「君の言う災厄が来たようだね、みずか」
カノン皇国 皇城スノーゲート
「ええ、今回は東鳩帝国だけではないようです。既に我がカノン皇国・御音共和国でも確認されている」
カノン皇国防諜局長官 久瀬俊平侯爵は目前の女性に報告を続けた。
「被害は?」
「いえ、未だ報告されていません。ですが、その目撃報告はウナギ登りですな。明らかに前回の規模を上回っている」
その言葉に目を閉じた女性――水瀬秋子公爵は静かに言った。
「どうやら、急がないといけないようですね」
東鳩帝国 帝国府情報局
「この情報は?」
「未だ表には出ていません。ですが時間の問題ですよ。まだあの悪夢はわが国の民衆には真新しい。知れ渡ればパニックになります」
「……とにかく間違いないわけか。信じたくはなかったけどね。早急に会議にかけないと」
情報局情報総監『千里耳』長岡志保は血色の悪い顔で立ち上がった。
彼女の持つ数十枚に亘る写真には全く同一の存在が写されていた。
三年前、帝国全土を蹂躙した黒き翼持つ異形の悪魔――『ラルヴァ』が。
「大陸全土でのラルヴァの大量発生……まさかこんな事がおこるなんて」
悪夢を振り払おうとでもするように首を振る部下に志保は忌々しそうに吐き捨てた。
「ガディム再臨……悪夢の再来か」
続く
あとがき
八岐「はぁ、今回はちょい苦労したでやんす」
栞「何がですか?」
八岐「書くのがです。どれをどこまで書いていいのやらさっぱりだったんですよ。はぁネタフリって難しいです。結局上手くいかなかったですし」
栞「上手くいかなかったんですか?」
八岐「なんかごちゃごちゃし過ぎでしょう」
栞「……そうですねぇ。私もけっきょく本当にポケットだけでしたし」
八岐「……いや、別にそんな事は言ってないしどうでもいい――」
栞「ギロリ」
八岐「いえ、なんでもないでやんす」
栞「さて、ストーリーも新展開の匂いを漂わせてきたところで次回は三華大戦の終結に向けてのお話です」
八岐「はい、次回第30話『新たなる一歩に向けて』」
栞「またまた強引極まりない展開となりそうです。いいんですかこんなんで!?」
八岐「よかないですがやっちゃいます(爆) それでは読んで下さった方々にお礼をいいつつさようなら〜」
栞「さようなら♪」
SS感想板へ